プロフィール

はじめまして。
パラダイムシフトセラピーの心理カウンセラーの立花やよいです。

こんな方向けにカウンセリングをしています。

親子問題介護問題夫婦問題でお悩みの方
なんとなく今の仕事があわない
もっとクリエイティブな仕事をしたいと感じている方
愛着障害、アダルトチルドレン、HSP、
自己肯定感が低いとご自身で認識されている方
毒親、過干渉、共依存、機能不全家族、育ちの方
対人恐怖症うつ病を患っておられる方
昭和世代がんばり癖肩の力が抜けない方、
これからは、ゆるく働きたい方、
もちろん、ゆとり世代の方も。

幼少期に複雑な家庭環境で過ごした内向型HSP
いつもいい子で優等生
母の期待に応えることが私の人生でした。

それが共依存関係にあったこと
また、自分がアダルトチルドレンで、
過干渉による機能不全家族で育ったこことなど、
社会に出るまで気づきませんでした。

母から「世の中は金が全て」と言って育てられ、
20歳の頃、反抗して、家出したこともありました。

それでも、
気づいたら母の敷いたレールに乗っていた人生でした。

心理学を学びながら、
ひとつずつ心のもつれを紐解いていきました。

知らず知らずの内に、
世間一般的なしあわせ理想像である
「結婚すること」「子供を持つこと」
「良い就職先を見つけること」
「稼ぎのいい夫を持つこと」
「良い妻、良い嫁でいること」などなど
他人の価値観(パラダイム)に振り回されていた
ことに気づきました。

そして今ようやく、
自分だけのしあわせを見つけることができました。

対人恐怖症、うつ病を抱えながら
「自分にあう仕事はなんだろう」
「自分のしあわせはどこにあるんだろう」と
30年以上、しあわせを追い求めて
自分の居場所探しをしてきたわたしが、
どのように悩みを克服してきたのか。

お読みになるだけでも気持ちが軽くなり、
「解決のヒントが得られた」とのお声をいただいております。

もしご興味があれば
詳しいプロフィールをぜひご覧ください。

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母に苦労かけまいと我慢ばかりの幼少期

1974年、兵庫県出身。
物心つかないうちに両親が離婚。母親の元で育つ。

片親で苦労して育ててくれている母に迷惑をかけてはいけないと
我儘ひとつ言わないいい子だった。

母が再婚し6歳の時に妹ができる。

母は仕事と妹の世話で忙しくなり、
毎年夏休みになるとわたしだけ、
祖父母の家に預けられるようになった。

家族から除け者にされた感じで、
いつも疎外感(孤独感)を味わっていた。

祖父母の家は岡山の田舎にあり、
周りには山しかなく遊ぶ相手がいない
子供にとっては退屈な場所だった。

山にいってセミをとり、
カマキリと遊んだ記憶しかない。

ひとり寂しかったが、我慢した。

この頃から一人遊びが上手内向的な性格が形成されたのかも知れない。

今でもひとりで居ることのほうが落ち着く

がんばることが美徳と叩き込まれた中学時代

中学に入ると、
親のすすめと背が高いと言う理由からバレーボール部に入る。

当時は根性論での熱血指導が当たり前の時代、
運動音痴で足が遅いのを、
練習や頑張りが足りないからだと叱咤され、
嫌々ながらも3年間続けた。

この頃、仕込まれたがんばり癖が未だに抜けない感じがしている。

たとえば、

自分がミスをすると全員が連帯責任としてスックワットさせられる 
→「周りに迷惑をかけちゃいけない

「辞めろ!」と言われたら 
→「お願いします、やらせてください!」
 とコーチに食らいつかなきゃいけない

石の上にも3年 
→どんなに辛くても不向きなことでも、
 最低3年間は絶対に、辞めてはいけない


と身体で覚えさせられた。

勝手に部屋に入ってくる過干渉な母親

何度やめてとお願いしても部屋に勝手に入り、
日記を無断で読んだり、

「生活保護を受けているあの子とは遊ぶな」
と言って友達を選んだり、

全てにおいて干渉、コントロールしてくる母との生活は気が狂いそうだった。

このまま一緒に生活していると窒息死しそうで、
早く家を出たくて仕方なかった。

一人暮らしができる大阪の短大に進学した。

母の期待に応え続ける「いい子」誕生

母が行きたくても家が貧乏で行けなかった短大に行かせてもらえることや、

あなたさえ幸せになってくれれば
と繰り返す母親の言葉が呪いのように、
心に重くのしかかっていた

今から振り返ると、
ただ母の願いを叶えることが生きる目的で、
共依存の関係だったと思う。

何か意見する度に、

「誰が食わせてやってると思っているんだ、
文句は稼げるようになってからいえ、
嫌なら今すぐ出ていけ。」

「親が黒と言ったら黒、
白と言ったら白なんだ。」

と、叩き込まれた。

ついに親には何を言っても無駄だとさとり、
家を出るまでの辛抱だと思い、
一切口答えしなくなった

(この「いい子」が、社会に出てもずっと続くことになるとは、このとき知らなかった。)

人種のるつぼアメリカで打ち砕かれた固定観念

窮屈で息苦しい家、
閉塞感のある日本を脱出したかった
からなのか、
学生時代から自由なアメリカに行くことを夢見ていた。

卒業後、家を出てお金を貯めて渡米し、
数年間、アメリカのポートランドで過ごす。

自由に何でも物言う欧米人との交流は、
今までの概念が打ち砕かれ、
視野がとても広がった

自分のアイデンティティを考えはじめる

しかし、自己主張をあまり得意としない
思いやりや謙遜を美徳とする日本文化をなじられると、
苛立ちを覚えた。

また、アジア人に対する差別や偏見があるのだと知り、
完全には馴染めなかった。

「アメリカが一番」と主張してくるアメリカ人の愛国心に触れて、
逆に日本人としてのアイデンティティを考えるようになる。

外資系IT企業という鎧の中身は対人恐怖症

帰国後、就職。

人との接触をできるだけしないですむように技術職についた。

食いっぱぐれのないよう外資系IT職につくものの、
会社でも何1つ主張しない
ただ言われた業務を従順にこなすだけだった。

対人恐怖症だった。

目立たないよう心がけ、
淡々と仕事をしているだけなのに、
なぜかモラハラ気味な上司
陰湿な女子社員が群れている職場に身を置くことが多かった。

身体からのSOS

何度、転職しても同じような支配コントロール好きの上司にあたった。

いつも同じパターンで、
何かがおかしいと気づきはじめる。

ついに身体からは血尿、膀胱炎、帯状疱疹などのSOSが出た。

花とハーブに囲まれる丁寧な暮らしにあこがれて

心の見つめ直しがスタート。

仕事をやめ結婚、
自分の好きなことをはじめようと、
ハーブの習い事をするなどゆっくりした生活をおくりはじめた。

さらに野菜づくりもはじめ、自然農法を習った。

順風満帆な結婚生活だと思っていた。

毒親介護で家族崩壊

そんな矢先に、
一人暮らしの義母がアルツハイマーを発症

施設にいれるいれないなどの介護問題に向き合わされる。

もともとの攻撃的な性格に拍車がかかった。

攻撃の対象は、立場のいちばん弱い私だった。

「親の面倒は嫁が見るのが当然だろ」と罵られ、
一時は大好きな庭いじりさえもできなくなった

うつ病になる。

結婚とはなんなのか、
何が楽しくて生きているのかわからなくなった

庭づくりに集中しているときだけが、
心の安らぎだった。

これがあったから今まで持ちこたえられたんだと思う。

一流企業勤めのモラハラ夫に悩むカサンドラ妻

なんとか施設に入れてもらったが、
夫からは「お前が面倒を見れば節約できたのに」
と言われ続けた。

「俺が稼いでる」態度の精神的モラハラ気味の夫との関係に悩んだ。

イライラして夫婦喧嘩が増えた。

感情の起伏が激しくなり、
なりたくないのに、どんどん自分が母に似てきていることに気づく。

この頃、「アダルトチルドレン」「愛着障害」「毒親」「カサンドラ症候群」「アスペルガー症候群」などの言葉を知る。

本を読み漁り、心理学についてたくさん学んだ。

アパートをシェアガーデン付きにリニューアル

2010年頃、介護問題に奮闘していた同時期に、
先代から引き継いだ古い木造アパートを改修して、
庭付きのアパートにリニューアルした。

日本の木造建築を敬う気持ちと、
住まう方の個性を応援しようと、
一部屋一部屋を異なる内装にした。

2014年頃に完成。
入居者さんとお庭を通じて交流をはじめる。

入居者さん(20~40代女性)とも
ハーブや野菜を育てる楽しみを分かち合おうと思ってはじめたシェアガーデンだったが、
思いの外、彼女たちにとっては野菜作りよりも、
このお庭を通じての交流が、
家でもない仕事場でもない、サードプレイス
として本音が話せる場所だと言って喜ばれた。

心のサードプレイスをつくりたい

そのときはカウンセラーになろうと思っていなかったけど、
じっくり話を聞いて、
その人の本質、本来やりたかったことを応援することを
このときからやっていた。

振り返るとこれが、
カウンセラーをやりたいと思う原点だったと思う。

大家も入居者もしあわせになる物件企画

物件企画コンサルタントとして、お仕事をスタート。

アパートの評判を聞きつけた地元のご住職から相談を受け、
「収益物件+地域のコミュニティハウス
の企画提案をさせていただいた。

また、茶事の先生をされている方へは、
「茶室付きの収益物件」をご一緒に企画させていただくなど、
オーナー様と入居者様の双方にとってよい物件を企画することに、
大きな喜びを覚えた。

セラピストのための実践マーケティング講座

自分の一番得意としているアイデア力や企画力を活かせれる仕事は楽しく、
知り合いの整体院を経営されている方からも
マーケティングの相談を受けて、
オリジナルのメニュー作りにも取り組んだ。

セラピストの方はスキルがあるのに、
優しくて「みんなに良くなってもらいたい」思いから、
サービスを高額化できない傾向があることを知る。

支えたいのにブレまくるHSPメンタル

わたしも同じだということに気づく。

母から干渉、コントロール、支配を受けて育ったわたしは、
いつも人の気持ちばかり優先させて自分のことは後回しにしていた。

公私ともに人のサポートや、ボランティアばかりやってきたし、
今でもその傾向がある。

それなのに人からは全然大切にされない。

それどころかこちらの優しさを利用して、
いいように使われる
ことが多かった。

身体も心も重くなり、何が原因なんだろうと長年悩み、
答えを探しまわりました。

その結果、
幼少期に親や世間から植え付けられた自分の中にある価値観(パラダイム)が原因
ということがわかりました。

自己肯定感も低い

幼い頃に
「お前にはできない、できるものならやってみろ」
と兄から言われた一言が忘れられず、
ずっと兄姉の影で生きてきた姿勢が染み付いていて
「変わりたいけど、変われない」
と言うクライアント様の葛藤が、
わかり過ぎるほどわかる。

だけど、人一倍感受性が高く
HSPである自分自身のメンタルを支えるのもやっとなのに、
どうやったら人のメンタルを変えることができるのか。

理想の心理カウンセリングとの出会い

私生活では離婚ストレスで子宮筋腫も患い、
身も心もボロボロ、限界だった。

そんなときに理想の心理カウンセリングと出会う。

その心理講座では、

心の仕組みと、癒していくプロセスが体系化されており、
今現在、自分がどこにいるのかが目で見て把握でき、
どんな課題に取り組めばいいのかがわかった。

カウンセラーに相談しながら
日々行なう簡単なワークとその練習で、
みるみる心が回復していった。

長年、人から干渉やマウントを受けても、
NOと言えなくてストレスを溜め込むことしかできなかったが、
しっかりと相手との境界線を引くことで、
気にならなくなり、心穏やかに過ごせるようになった。

「もっと早くに出会っていたら、こんな回り道をせずにすんだのに。
もっと早く、助けを求めればよかった。」

と悔しい気持ちになった。

だけど、

「回り道をしたからこそ、見えた景色もあったのだ」
と、今では全ての経験を愛おしく感じている。

半農ライフ×心理カウンセラー

今までわたしを駆り立ててきたもの、

それはわたしが

もしこんな家に生まれたら、
もしこんな場所があったら、
もっとしあわせな人生だったのに

という思いからだと思う。

わたしと同じように、

毒親育ち」で「よい環境に恵まれなかった方」や、
自分を大切にしようとしても、どうやって自分を大切にするのか、その感覚がわからない方
怖くてひとりで動けなくなってしまっている方」へ。

半農ライフを送りながら、
物件企画や実践マーケティングコンサルタントをしてきた経験から、
わたしのカウンセリングでは聞くだけじゃなく
固定観念にとらわれない柔軟な発想で、
実際にあなたの理想の未来に導いていきます。

そのために何をしたらいいか、というのを
具体的にお伝えするよう心がけています。

自然農法で学んだことは、
ナスはトマトにはなれないし、
ならなくてもいい
ということ。

調理の仕方でとびきり美味しくもなるし、
その本質(DNA)さえ知って適した環境さえ整えてあげれば、
こちらがそんなに手をかけずとも立派に美味しく育ってくれます。

人も同じだなと思っています。
(別にあなたがナスだと言っているわけではありません。笑)

あなたの才能が活かされる場所
あなたらしいライフスタイルは必ずあります。

そして、それを手に入れるためにあなたは、
もうひとりでがんばらなくてもいい

ぜひわたしに、
あなただけの、しあわせの北極星を見つける
お手伝いをさせてください。

世界が平和になる唯一の道

周りの価値観に振り回されずに、
ひとりひとりが己の心の基地に立ち戻ること

それが互いの違いや個性を認め合い、
多様性を受け入れ調和する社会、
世界平和へ通じる唯一の道だと信じています。